改めて思う自己重要感について
昨日僕の誕生日だった。
まぁ20台終盤頃から自分の誕生日への関心は、外に出された氷のようにじりじり溶けだしてもはやほぼ無関心状態。
欲しいものも思いつかないし、そもそも買ってくれるあてもない。
なので言ってしまえば非常にフラットなメンタルで臨むことができた誕生日当日。
それでもいざおめでとうと言って頂けるとやっぱり気持ちがほっこりとするものでした。
子供はもちろん(妻が伝えてくれたのだろう)、親や友達からのラインやSNS。そして会社の後輩数人…
決して沢山の方に言って頂いたわけではないが、わざわざ僕の誕生日を覚えておいてかつ一言声かけてくれるという心配りを思うと嬉しくなるのを避けることなどできなかった。
んなもんだからついつい気を良くしてしまい、後輩の女の子から1年の抱負を教えてください、なんて言われたものだから
・体重を69キロ台にする(いま73~4キロ)
・1年で本を70冊読む
と実に具体的なゴールを宣言する事となった。
どちらも無意識には、努力しないとクリアできない程度のハードルである。
誕生日に一言おめでとうという、それだけで十分心は満たさせる、プレゼントなんていらないのだ。
人間は自己重要感の塊だとNLPで教わったら、改めてその通りだなと体感した学びと覚悟の多い1日になった。
プレゼントの数はゼロ。
それを考えると先月あった我が母親の誕生日はバースデーケーキだけで3つとプレゼント多数と火を見るより明らかな完敗ぶり。プレゼントなんていらないと言っておきながらちょっと嫉妬。
母親はきっといたるところで周囲のヒトの自己重要感を満たしてあげているのだろう、それのお返しが誕生日にかえってきている。
僕もまだまだだなと兜の緒を締めなおした35歳の誕生日でした。