課題の分離
アドラー心理学の中に課題の分離というものがある。
どんなものかというと、
自分がコントロールできることには一生懸命に、
自分でコントロール出来ないことは考えない、考えても無駄だ
という整理である。
例えばでいうと、友達にゲームを貸すことは出来るけど、そのゲームを友達がやるかやらないかはコントロール出来ないということだ。
ゲームを貸すかどうかは自分の課題。
ゲームをやるかどうかは他人の課題。
つまりせっかく貸したゲームを友達がやってくれなかったとして、なんでやってくれないんだと友達にいらついたり悲しがったところで何も変わらないよ、だからいつかやってくれると信じたり、そんな事に心動かされるのはもったいないよ、という話である。
選択理論と似てるよね、変えられるのは自分の行動だけ。
※友達にゲームを興味持ってもらうためにいいプレゼンしよう、に転換したら自分の課題になる。
前置きが長くなったけど今日会社でこんな事があった。
とあるプロジェクトの一員としてあくせく頑張っていた案件があり、まもなくカットオーバーできるぜってタイミングまでなんとかこぎ着けたのだが、会社のかなり上層部(社長とか役員とか)のほうでで意見の食い違いがあり、平たく言うと頓挫した(笑)
理由を聞いてみた。そしたらなんか創業の時からのなんたらや会長の本音はなんたらで、みたいな内容で、
たかがマネージャーにはどうすることのできない内容だった。
他のメンバーは非常に落胆していて、まぁ僕もショックはショックだがまぁオレのせいじゃないししゃーないな、と割り切った。
これが課題の分離である。
おいらの課題はプロジェクトの中身を素敵なものにすること。
それをカットオーバーさせるためにお偉い方をマネジメントするのは担当役員の仕事。
個人的には抜かりなく自分の課題はこなした。
それで十分じゃないかと。
課題の分離という概念を知らなかったらすごくマイナス面に陥っていたかも。やっぱり読書は大切だ。
人事を尽くして天命を待つ、ってことかな?
学んだことがチキンと一時情報として話せるようになった素敵な木曜日でした。
(ショックなはずがいつの間にか素敵なことに✌)