心配り
先日名古屋に出向いてましてその帰りのこと。夜も九時と終電少し前のなんというか乗車客から疲れたーって声が聞こえてきそうな時間帯です。
時間的にも時勢的にも席はまぁまぁ空きもありました。
会社の経費で指定席とって、座ってビール飲むぞーって意気込んで席に行ったのですがなんとその席が埋まっていたんです。ちょっときれいなお姉さんがちんまり座っていました。
きっと相手が間違っている、とは思ったのですがシステム的にドンピシャで同じタイミングで買ってだぶる可能性もあるのかとか、
相手も疲れているだろうしなんか違うじゃないですかって指摘するのもなぁとか、
そもそも声かける勇気ないしなとか…
そんなことを考えて結局他の空いてる席に座ることにしたんです。
そしたら当然車掌さんに声かけられますよね、乗車券みせてって。
乗車券を見せつつ言いました、どうやら重なってしまったみたいなんですと。そしたらね、その後の車掌さんが対応がまぁ神様でして。
確認しますのでしばしお待ちくださいと言うと車掌さん、僕が取っていた席に座っている方の乗車券を確認しに行きました。
乗車券を確認後その方には特に何も言わず、僕の方に戻ってきてこう言いました。
あちらの方が間違っていたのですが、今おすわりの席で東京まで帰れますのでこのままでもいいですか?
ハイ素敵、神対応。
これは僕&間違えた人に対する、そしてその周囲の方々みんなに気を使った配慮なのだと瞬時に気が付きました。
もし間違えた人に退いてもらいますね、と行動に移したら、間違えてた人は当然恥かきます、疲れてるのにアセクセ動かないといけません。
一方それを指摘した僕も細かいやつだなと周りの方から見られる可能性があります。
周りの人も夜遅くでゆっくりしたい、寝たいときになんかワチャワチャしてるじゃないかとイライラする。
そのすべての不都合クリアするベストアクションを車掌さんはやってのけたのだ。
もちろん座席に余裕があるからできることだし、マニュアル的な処置だったのかもしれないが、そのような気配り、いや心配りが出来るヒトなり組織って素敵ですよね。
まさに三方良しの概念です。
相手のために何ができるか、それが心配りなんですね。
そんな思い出にふけりながら帰る水曜日でした。