自分の普通は他人にとっては普通じゃないかもしれないというお話。
先日会社の人数人とランチをした。もっぱら弁当をデスクで食べる派の僕からするとムックのほうがガチャピンよりも優れたものを探しだすくらいまれなこと。
そもそも在宅勤務で世の中の人は職場の人とランチすること自体へってるかも。
そうすると食事が届く前から自然と会話が生まれるもんで、なんかこういう雑談久々だなぁなんてしみじみしながら食事を待った。
話の内容が趣味や普段の過ごし方になり、コロナウイルスにより早寝早起きの好習慣を得た僕が朝起きて読書をしてると話ししたら想定外にびっくりされた。
僕のキャラが漫画ばかり読んでそうなのもあるかもしれないが、それでも早起きして本を読むのは「わざわざすること」に分類されるようだ。
そして何より本を読む事が偉いことのようでもある。
前に読んだ本にも読書してる人は少ないとあった。試しに今乗ってる電車の中を見回したところ、少なくとも紙の本を読んでる人はいなかった、みんなスマホ。
電子書籍って線はあるかもしれないが。
今年の目標70冊の僕は大概変なやつなのかもしれない。
自分にとっての当たり前は他の人にとって当たり前じゃない、もっというとすごいことの可能性がある。
ということはなるべくそれを外に出すことで、相手の反応を持って自分自身を知れるということだ。
少し恥ずかしいかもしれないが自分はこんなことやってます、ってオープンにすることが自分を発見するチャンスになるのだ。
僕は前から自分の話をするのが苦手な方なんだけど70冊の目標は知人に公表してるし、他の趣味なりも明らかにしてるので、自然と情報は入ってくるし本をたくさん読むスゴい人的に受け取ってくれてる人も中にはいる。
自分のことを話す。それはコミュケーションにもなるし自分発見にもなる素敵な行動なのかもしれないね。
以上、電車の向かいの人がおもむろに鉄道ファンという雑誌を袋から出して読み始めた月曜日でした。